式内 布久比神社
Contents
概 要
社 号 式内社 但馬国城崎郡 布久比神社
読み:古 フクヒ、現 ふくひ
江戸時代は「一宮大明神」と称していた
所在地 兵庫県豊岡市栃江字一ノ宮60
旧地名 但馬国城崎郡奈佐郷
御祭神 岩衝別命(いわつくわけのみこと)
『国司文書 但馬神社系譜伝』布久比命
例祭日 10月7日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
但馬国(タヂマ・たじま):131座(大18座・小113座)
城崎郡(キノサキ):21座(大1座・小20座)
近代社格制度 旧村社
創建 年代不詳(『国司文書 但馬故事記』に第七代孝霊天皇の六十二年秋七月)
本殿様式 流造柿葺
境内摂社(祭神)
一口メモ
古墳の真上に鎮座。栃江の集落をうろうろしたがさっぱり分からなかったので、気持ちよさそうにしていた飼い猫が、うろうろする私を見て不審がる。静かな集落の犬に吠えられることにも慣れている。野良仕事に出かける地元の人に訪ねると、ちょうど案内して下さるので車に同乗してもらって宮井の境まで行くと、思わぬ平坦な場所に布久比神社の杜が見えた。話しではここは昔の城崎(湯島)へ抜ける街道だったと聞いているそうなのだが、60才代くらいでその人も良く分からないらしい。方角は竹野方面で違うと思うのだが、いずれにしても宮井・栃江の村境に街道があったのも式内社が建てられている理由は頷ける。
歴史・由緒等
『国司文書 但馬故事記』(第四巻 城崎郡故事記)
第七代孝霊天皇の六十二年秋七月、
布久比命の子、美々井命をもって、小田井県主と為す。美々井命は布久比命を登知江(栃江)に葬る。美々井命は父の後を受けて、奈佐を開く。
『国司文書 但馬神社系譜伝』
人皇六代孝安天皇の六十七年秋九月、与佐伎命*1の子・布久比命を以って小田井県主(城崎郡の古名)と為す。
人皇四十代天武天皇の三年夏五月、郡司・物部韓国連2久々比3これを祀る。
*1 式内与佐伎神社 祭神 与佐伎命 豊岡市下鶴井
*2 式内物部(韓国)神社 祭神 物部韓国連命 豊岡市城崎町飯谷
*3 式内久々比神社 祭神 久々比命 豊岡市下宮
境内・社叢
参道 鳥居
境内 本殿覆屋
このあと集落に戻って同区の中心部にある九龍神社も訪ねた。
0件のコメント